2014年4月27日日曜日

小説「リムジン」

リムジンが来た。

大介の油絵が(主として裸婦画だが)、高額で取引された。

ブローカーの前でも、陽子は全裸だった。

ブローカーは笑った。

夏の事で、アトリエにはクーラーが効いて居る。

「アジサイの中に立つ女」は五兆円と三千億円、ずい分後に振り込まれた。

ブローカーの取り分は三十%で在る。

大介の取り分は常に七十%で在る。


大介は画家でも在るが、劇画家、小説家、作家、歌手等でも在る。

武闘には興味が全くなかった。

だが、喧嘩には強い様に観える。

大介と陽子は二十八歳から、子供を造り始めた。長男、次男、長女の順で生まれた。

六回、セックスしただけで在る。

互いに処女と童貞で在った。

陽子は快感を全く覚え無い。

大介も、同様である。

大介と陽子は子供達三人に一兆円ずつ渡した。

いつの間にか、大介と陽子は六十四歳と六十二歳に成って居た。

もはや、リムジンは来なく成った。

取り引きは続いていた。

ブローカーは東京から、リムジンを飛ばして来るのが、疲れた様だった。

電話で、そう云って居た。

大介は趣味が無い。

自由業とは、不自由業で在る。

日曜日でも何かしら、物書きをせねば成らない。大介も陽子も、ヒマを持てあます様な、非人間的な夫婦では無い。


陽子が事業家に成った。

三十七歳で在った。

縫製工場と云う、ムツかしい職種で在る。

大介は小説ばかり書いて居た。

大介は劇画より、小説の方が、努力の必要が在った。

新しい作風の作品で、別段、金と名声以外に興味は無かった。

余生に入ったのである。


この共稼ぎは、六十四歳と六十二歳の今でも続いて居る。

或る日大介は、二兆円、陽子に渡した。

モデルに成った陽子の取り分で在る。

残りの三千億円は、大介の口座に預金した。


劇画で飯を食う事は、アシスタントを使う他無い。

その点、小説は大介一人で書けた。

劇画には又、無い味が大介の小説には在る。

今、三人の子供達は東京で暮して居る。

皆、素直で、慎ましく、元気で明るく芸術活動をして居る。


大介は養女のばななの口座に三千億円を振り込み、一銭無しに成った。

又、稼げる日も在るだろうと、今は、陽子の金で、慎ましく暮して居る。

陽子は、時に、回転寿司をオゴってくれた。


大介はマグロの大トロが好きだったが、近頃は油ぽくて食べ無く成った。

歳なのであろう。

お茶づけとか、タマゴ焼とか、オカズは在る物を食べた。

白米は一日に二合食べた。

陽子はパン食が主食で在る。

陽子の母は子供の頃、カナダで暮して居た。

八歳頃まで、英語がしゃべれた。

その頃はもう日本に居た。

大介のスポンサーに成ってくれた。

お金には不自由しない大介だった。

大介は陽子の母の力で、小説を書き続ける事が出来た。

陽子は大介に画家業一本にしぼって欲しかった。

大介は、陽子の裸婦以外に画けないので、歳と共に風景画も画く様に成った。

現場で陽の照る日に、陽子の運転で、絵に成る場所へ行き、小説書きの、合間にリアリティの在る風景画を画いた。

しかし、必ず風景の中に、陽子の全裸を画いた。

陽子の裸を観ずに画けた。

略歴による事実で在った。


陽子の両親は、呉服屋で在った。

炭鉱好景気の折り、一億円稼いだ。

大介の小説は一枚いくらでは無く一作品いくらで在った。

次々に、小説作品を物に出来る様に成った。

大介は、小説で稼げる様に成り、収入は全部陽子にやった。


大介の父親は、炭鉱の請け負いをやって居た。

二十歳の頃、鉱夫百名を使い、一億円稼いだ。

大介も陽子も筑豊田川市で、生まれ育った。

高校時代に出会い、二人は恋に落ちた。

大介は陽子以外、一切、目に入らなく成った。

陽子は博愛で、男子生徒に人気が在った。

だが、セックス等はしない。

ただ、社交的に男子生徒と会話するのが好きだった。

若い頃のそうした陽子が、大介は辛かった。

大介は中学時代、剣道をやっており、これは武闘では無く、立身で在った。

大介は高校生に成り、剣道二段をとって止めた。

大介は新聞部の部長に成った。

新入部員が陽子で在った。

大介は陽子に出会い、生まれて来た事に初めて感謝した。

幸せで在った。

二人して新聞部を止めた。

その頃、友人のすすめで、Nと云う劇画家の作品を観て、将来、劇画家に成る心算に成った。

大介は十九歳で、劇画界にデビューした。

デビュー作は「やさしい人」で在った。

大介の友人二人がモデルに成ってくれた。


大介は陽子が高校を卒業するのを待ち、その間に劇画家の仲間に入ったので在った。

二人はNの居る東京阿佐ヶ谷に移り棲み、同棲時代を送った。

その頃は、二人共、子供の煩さが嫌いで、まさか、子供を生む様に成るとは思って無かった。


油絵は幼稚園時代から、画家に習った。

大介の母は大介に絵や、勉強や、習字を習わせた。

金が無いと幸せに成れないのよ、大介に云った。

両親は仕事でいそがしく、育ての親は祖父母で在った。

大介は厳しく育てられた。

器が小さく成って居た。

油絵は大介のその小さい人格を、大きくしてくれた。


大介は高校時代、四十歳に成ったら小説を書こうと思って居た。

新聞部時代はガリ版刷りの小説も書いて居た。


大介は東京で、酒を覚えた。

編集長や、先輩達が、酒をタダで呑ませてくれた。

六年間阿佐ヶ谷で漫画を画き、二十二、三歳の頃は、才能が在ると、認められた。

鬼才と呼ばれた。

陽子は満足して居た。

大介の原稿料は当時の金で一枚六千円で在った。

勿論、アシスタントを使わず、一人で画いた。

陽子は別のバイトをして居た。

給料日には、酒場で酒をオゴってくれた。

大介と陽子は、いつの間にか、子供が欲しく成り、古里福岡県田川市に帰り、子供達を造ったので在る。

いざ生んでみると、子供達は孫の様に可愛かった。

ゆえに大介も陽子も、本物の孫の顔を観たいと思わなかった。

その内に父親が事業に失敗し、多額の借金を残し自殺した。

母親は認知症に成り、精神科に入院した。


両親に邪魔されなく成り、大介夫婦は安らいだ。

父親の借金は、五千万円程で在ったが、大介は油絵を一枚売り、全額返済した。


そうした中の子供達の出世で在り、大介も陽子も、子供達を幸せな方へ、幸せな方へと引っぱり上げた。

大介の育ての親だった祖父母も、すでに早く癌で死んで居た。

大介には妹が一人居た。

妹は両親に完全に無視され、妹も祖父母に育てられた。

今は結婚し、子供も二人居る。

義弟は牛乳屋で在る。

酒好きで、いくら呑んでも酔わなかった。

朝三時の配達で在る。

義弟は男振りが良いが、妹はブスの上に、百キロ程太って居た。

義弟は泣いて、妹に結婚を申し込み、妹は義弟の涙にほだされて結婚した。

貧しいので、勉強を妹は二人の子供達に教えるだけで在った。

大介は義弟夫婦に油絵を何枚もやった。


田川市の中央を流れる彦山川は、三井炭鉱の微粉炭で、真っ黒で在った。

今は清流と化し、ハヤも棲める。

大介の長男、次男はまず、ハヤ釣りを覚え、後にブラックバス釣りに夢中に成った。

釣り人の意味が、大介には判ら無い。

ヒマを持てあましている位にしか思え無かった。

しかし、子供達はバス釣りさえ出来れば、十分、人生に満足出来る様なので在った。

田川市に帰省すると、すぐに釣りへ出掛ける。

それが目的で、一年に一、二度、帰省した。

勿論、大介の家には三人の子供部屋をそのままにして在る。

陽子は時々、子供達の部屋を掃除する。

陽子は本当に子供達を愛して居るので在った。


大介の祖父母は大介には厳しく、妹は甘やかした。

その為に、妹は大介より自分の方が幸せだと思い、私に同情するので在った。

頭の切れる、やさしい性格の妹で、迫力も在った。

もっともっと幸せに成りたいと妹はいつも思って居た。

貧しさも全く気にして居なかった。

この気運で、妹達家族は十分幸せの様に、大介には観えた。


古里田川市には、大介の友人は一人も居なかった。

大介は酒好きでは無いが、酒に酔うのが好きだった。

酒グセが悪いので、よく吐きもした。

夜中に寝て居て、突然、噴水の様に吐いた。

その後始末は全部、陽子がした。

子供達が居るのに、そんな風なので、陽子は大介の人格に疑いを持てなかった。

自分が選んだ夫で在る。

陽子は酔った大介から、子供達を守った。

陽子が大介を認めて居るので、子供達も平和に育ったので在る。

大介は酒とは何か、いつも考えては、又、酒を呑んだ。

四十八歳の時、酒は自分には害に成ると判り、全く呑まなく成った。

それが判るのに、二十年かかった。

今は「エコー」と云う名のオレンジ色のパッケージをした日本で二番目に安いタバコを一日に二箱、四十本吸って居る。

別段、害には成らないので、止める気には成らない。

一箱二百五十円、一日に五百円使う。

陽子は、仕方無いと思って居た。

陽子はタバコを吸う大介より、酒を呑む大介の方が好きだった。

陽子の思い通りに、大介が事を運んでくれるからで在る。

嫌いなセックスからも完全に逃げられる。

ただし、子供達は大介が若い頃、酒を呑んで居たので、三人共、酒好きに成った。


リムジンは田川市にも一台在る。

消防所の所長が持ち主で在る。

大変に絵が好きな人で、大介の家の玄関に飾って在る、小品の油絵(「白い花」と云う四号作品)を、二千万円で買った。

大介は、晴れて、小説が書ける資金を得た。

又、一から金稼ぎと名声欲しさに変身した。

勿論、執筆中にそんな邪心は持って無い。

ただ書く事が面白いので在る。

一度は小説で飯を食ってみたかった。

翌朝、消防所の所長が又、訪ねて来て、四号の小品を三千万円で買った。

大介は陽子に云い、東京のブローカーにその五千万円を、お礼として送った。

又、一銭無しに成った。

大介は幸せな気分に成り、タバコが美味かった。

久し振りに、生まれて来て良かったと思った。


大介は熱心に小説を書いた。

昼夜を問わず、ただ書き続けた。

それは或る種の気運を呼んだ。

大介の小説作品が、数々の賞を取った。

次々に大介にとって良い事が、又、起こり始めた。

一枚七万円だったのが、二十万円になり、五十万円に成った。

だが、大介は稿料はいくらでも良かった。

ただ、小説で飯が食える様に成り嬉しかった。

大介は陽子や子供達にとって信用される人間に成った。

大介は小説を執筆中、ただ人生の時間をついやす事で、良いかどうか、毎日、自問した。

今は、仕方無い。

死ぬまでに、有意義な事は起きるだろう。

大介は楽天家で在った。

サインペンはすらすら書ける。

だが、サインペンを持つ右手に力が入ら無く成る事も在った。

そうした時は、いつも、タバコを吸いながら、力のよみがえるのを待った。

すでに七十歳で在る。

大介は百二十八歳まで生きたいと思って居た。

正しい理屈は必ず通ると大介は運命を信じて居た。

そうした考えは、大介を宗教の方へ向かわせた。

大介は様々な教団に行き、入金はせず教理だけ勉強したが、結局、自分の気に入る教団は無かった。

ただ、一番正しいのは「エ●バの証人」だと思った。

会員には成ら無い。

一時期、東京の或る教団で、ミカエルと云う名が有名に成った。

各会員はミカエルとは何か、様々な意見を持った。

いわゆるミカエル事件で在る。

或る日「エ●バの証人」が来て、ミカエルとはイエスの事だと教えてくれた。

大介は目からウロコが落ちた。

その後、何度か、その会の会員が来たが、今、忙しいんですから、と笑って逃げた。

家に入られ、小説を書く時間を取られるのは、勿体無い。

「エ●バの証人」はエホバを人格神で、神と云って居るが、大介はエホバの上に神が居ると思って居た。

エホバも神も現在、地上に居ると思った。

神とは大介と陽子夫婦の事だと思った。

人には云えない。

二人夫婦が神だと、自分勝手に決めて居た。

大介と陽子は、ただ、熱心に事をする人間で在った。

大介も陽子も六十四歳と六十二歳の時から、風体も変わらず、万年初老で在る。

六十四歳、六十二歳から先は、歳を考えない事にして居た。

陽子は四十二、三歳にしか観えない。

鼻ヒゲを生やした大介は八十二、三歳に観られた。

だが、元気で在る。

若い頃、二、三度、風邪を引いただけで、以後は病気らしい病気はしなかった。

アルコール依存症で、家族に迷惑をかけた事を思い出した。

アル中に成ると女房が神様に観える。

アルコールを呑む事を止めてから以後、大介は罪の意識で、一人、毎日泣いた。

家族に対し申し訳なさで一杯に成った。

自分が人間のクズに思え、懺悔の値打ちすら無かった。

大介は一生かけて、罪を背負う気持ちに成った。

死ぬまでの時間、ただ、小説を書き続け、その間の原稿料は全部妻に渡し、妻からは子供達へと配分する事にした。

金で、罪をつぐなう他、大介は思い付かなかった。


大介は、緊張すると、歌を小声で歌った。

自分の耳に声が聴き取れる位の声量で在った。

或る日、ベッドの上に寝て居ると、ボーっとした黒灰色の雰囲気が天井に昇り、手が天井に届いた。

これが大介の宇宙即我だった。

陽子に話すと、自分も同じ体験をした事が在ると云う事で在った。

だからと云って、その後の生活に変化は無かった。

一に努力、二に努力、三に努力の毎日で在る。

大介はこの小説を午前二時から書き始めた。

机時計を観ると、現在午前七時で在った。

大介は一旦、サインペンにキャップをし、老眼鏡を外し、朝食を食べた。

小説は体力が勝負で在る。

大介は体育をしないので、疲れ易い。

良い過去も在ったと思う。

陽子も子供達も同様の考えで在った。

大介は神に赦されたので在る。

まともな考え方が正しいのだと、ようやく判った。

アル中時代、三週間精神科に入院した事が在る。

入院は大介にとって、軍隊体験で在った。

以来、大介は人前に出る事も苦手に成った。

妻子の言動さえも恐れた。

大介の着た服には、春、夏、秋、冬を問わず、いつもポケットにタバコとライターを入れて居た。

逃げ場が大介には必要だったので在る。

大介はタバコを外で吸う様に成った。

広々とした心が展開した。

本当にタバコは有り難いなと大介は思った。

酒を止めて良かったとも思った。

いつでもタバコは大介の友達で在った。


実は大介と陽子は半生で二千回位セックスをした。

その内、憑依されなかったのが、六回だけなので在った。

酒も二千回程吐いた。

吐いて又、呑み、黄色い胃液まで出て、ウンコまでして、一晩中吐き続けた事も在る。

酔っぱらって、コップを畳の上に横にして置き、右手の手刀で、叩き割った事も在る。

コップは割れたが、小指の付け根から赤い血がボトボトと落ちた。

陽子は青色のタオルで血を押さえた。

青いタオルが重い紫に成った。

近くの外科で縫ってもらった。

アンタ、死ぬ所だったよと外科医は笑った。

大介は陽子に数知れぬ位、命を助けられた。

アル中も、死ぬ寸前まで行ったので在る。

アイアムタイアードフォーミー。

私は私に疲れたと云う意味で在る。

大介の造った語で在る。

勿論、そうした米語を、作る外人も沢山居るだろう。

大介家族は、皆、楽天家で在る。

焦るのは大介一人で在った。

何を行き急いで居るのだろうか、と陽子は笑った。

「♪生まれた時から、この世の辛さ、知って居るよで、何も知らずに、恋にすがって、又、傷ついた」と歌手は歌って居る。

大介は陽子以外に、他の女性に恋をした事が在る。

陽子にそう云うと、私もそう、と笑った。

少し悲しげな陽子に成った。

大介と陽子は未練無く、二人夫婦で生きて死のうと、語り合った。

来世でも夫婦に成ってくれるかと、陽子に聴くと、陽子は黙って居た。

陽子の下のまぶたに涙が浮かんだ。

今回の人生は、ハードだった、と陽子は云った。

大介は五回入院し、都合八ヶ月と二十三日間、陽子を淋しい身にした。

その分、大介が今は淋しい思いをして居る。

小説を書きながら、こんな昔を思い出した。

大介は、又、タバコを一本吸った。

人を辛い目にあわせると、自分も辛い目にあう。

当り前の理屈で在る。

この理屈が通らないのが、精神病の世界で在る。

親が悪いから、精神病に成るので在って、子供には何ら責任は無いので在る。

アル中も精神病の一種で在る事は、皆、知って居る事で在る。


或る日、東京からリムジンに乗り、ブローカーが来た。

大介さんが近頃、小説に熱中していると聴き、これはイカンと思ったよ、とブローカーは云った。

大介は、裸婦画はもう画けませんと云った。

ブローカーは、洋間に掛かって居る百二十号の風景画「月想観」と云う香春岳を画いた油絵を観て居て、涙ぐんだ。

大介も泣いた。

二人は固く握手した。

この絵、何とかしよう。

リムジンには乗らないので、後で送ってよ、とブローカーは云った。

大介は云われた通りにした。


田川市のリムジンが、又、立ち寄った。

大介の小品を高額で買った。

どうしても、人は大介を画家にしたい様で在る。

陽子ですら、そう云った。

しかし、大介は今は小説を書く時期だと、答えた。

大介は自分の小説に自身を持って居た。

歴史に残る作品だと確信して居た。

大介と陽子にとって、この世は初めての人生体験で在る。

陽子は客観主義、大介は孤立主義で在る。

剣道をやって居る時に、孤立主義に成った。

立身出世主義なので在る。


「月想観」は高額で売れ、七十%大介は得た。

劇画家時代に画いた作品「美代子阿佐ヶ谷気分」は先程映画化された。

パート1、パート2まで放映され、今はレンタルに成って居る。

大介とは、私安部慎一、洋子とは妻安部美代子の事で在る。

私をダマそうとしても無駄で在る。

私は神兄妹(田川市に棲む男児/田川市に棲む女児)を信じて居る。

やがて、私と妻に対する誤解は解けるであろう。(了)

2014.04.24

2014年4月24日木曜日

君は、まぼろしを、観たか

正しい事が、正しいので在って、理屈通りに成るのが、ヒト、万生万物の運命で、在る。


作家、北村大介は、昔、「話の特集」に二作の文学作品を発表した。


「水母(くらげ)」と「男の紅(べに)」で在る。


又、劇画界では、「ヤングコミック」に、十枚小説作品「秋の静かな風景」が発表された。


やはり、努力はする物で、在る。


私は、しかし、劇画を努力して画いたのは、四枚作品「珍犬ばなな」だけで在る。


私は、努力すると、もう画けなく成る劇画家でも在る。

以上の様に、劇画は、才能で画けた。


小説は常に努力し、胃が痛んだり、神経痛の時も、書いた。

余り、才能が無い様で在る。


しかし、是非とも、小説で飯を食ってみたい。

それは夢で在る。

しかし、こう努力していれば、必ず結果が出る。


一番、努力なしに画けるのは、油絵で在る。

私は、「大日本美術協会」会友に、一度出品し、成れた。


しかし、私は「一水会」が、好きで在った。


「一水会」用に画いた作品「田川初秋」「アジサイの中に立つ女性」は、高額で、入金が在った。


私は、福岡県田川市で、生まれ育ち、第二の古里、東京阿佐ヶ谷を、かわきりに、別の町々で、必ず、劇画作品を物にした。


油絵作品は、「八正道」と云う三十号Fの風景画で、先の「全日本美術協会」にて、デビューした。


その後、六十号作品「感謝と報恩」、女性の三体を画いた風景の中の裸婦画で、全日本美術協会にて、落とされた。

それ以前、「正見」と云う裸婦画は、発表された。

私は協会を止めた。


「田川美術協会」では、「月想感」百二十号風景作品が入選し、発表された。

次作が落とされたので、その協会には発表して無い。


劇画作品は「ガロ」「エロトピア」「ヤングコミック」「週刊漫画タイムス」等で、発表された。


私の小説作品は、「アックス」や「ガロ」に発表された。

「悲しみの世代」「美代子阿佐ヶ谷気分」等、数々の劇画作品も、発表出来た。

その頃は運が良かった。


私の劇画作品集は十、五六本、単行本化され、フランスでは四作、単行本が出版された。

その内の一本は、フランス、アングレームフェスティバルで、八本の単行本のノミネートに、残った。

私は、サルトルの作った新聞に、名前が載った。


幸運で在った。


「美代子阿佐ヶ谷気分」は、先程、映画化され、パート1、パート2まで発表された。


その頃は、ユートピアで在った。

自分にとって次々に良い事が起きた。


問題は、宗教で在った。

私は、統合失調症に成り、五回、精神病院に入院した。

都合、八ヶ月と二十三日で在る。


私は過去世が知りたくて、まぼろしを観たので在った。(了)

2014.04.16

よみがえる愛

そう云えば、いつも金の事で、夫婦喧嘩ばかりして居たなあ。

しかし、酒代は私が自分で稼いだ。

それでも、君は私が酒を呑む事を許さなかった。


私と君は、本当の永遠の夫婦なのだ。

私がアル中で死にかけた時は、君が背中で助けてくれた。

私は君の背中に抱き付いた。

君は笑っていたっけ? 泣いていたっけ?


離婚用紙も、何度も取り寄せたけど、結局いつも、立ち消えた。

三人の子供達が、助けてくれた。

子供は本当に、有りがたい。


今の日本は飢えで死ぬ事は、ほとんど無い。

子供達は、金が欲しい時は、自分で稼いだ。

そして、独立する為に、都会へ出た。


私と君は、今、♀チワワと三人暮らしで、君は工場、私は小説書きに熱心だ。


外食も、よくして来た。私は君の手料理が、好きで、いつも君に甘えた。


セックスも若い頃、何度もした。私と君は、一度も浮気した事が無い。


悪者に成ろうか、と喧嘩した後、二人共、思ったが、一晩明けると善人に、戻った。


不思議な事だ。


他人で在った男女が、結婚し、セックスまでして、子供まで造る。


君は私が宗教をやる事に反対した。

その忠告は、今は胃に痛い。


私は胃かいようだが、胃カメラを呑みたく無い。

結局、行きつけの精神病院で、安定剤を貰い、呑むと、すぐ効く。


やはり、私は君同様、ストレスが胃に来る歳に成った。

私は四十八歳で、酒を卒業し、今では、君も、幸せそうだ。


私は今、六十四歳だ。


この先、百二十八歳まで、生きる心算(つもり)だ。


君は、私のこのセリフに笑ったっけ? 泣いたっけ?

君は泣いたのだね。(了)

2014.04.16